映画の祭典で感じた二つのバツの悪さ

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500万人ちょっとの人口しかないニュージーランドは当然、いろんなものが小規模になります。芸能界もその一つで、独自のテレビ番組というのは非常に少なく、歴史的・地理的に関係の深いイギリスやオーストラリアの番組がたくさん放送されています。イギリスの人気番組の「NZバージョン」というのも多く、例えば日本でも放映されていたパンや菓子のベイク大会的な番組『ザ・グレート・ブリティッシュ・ベイクオフ』に関しては、ほぼ同じ構成で地元の人たちが出演する『ザ・グレート・キーウィ・ベイクオフ』という番組が作られています。オリジナルの『ブリティッシュ』に加えて『オージー』や『カナディアン』のといったベイクオフ番組も放映されているので、観ているだけで胃もたれがします。

NZでもテイラー、スーパーボウル、オスカー

ただ、ポップカルチャーはやはりアメリカの影響が大きく、例えばテイラー・スウィフトが今回のワールドツアーでNZをスルーしたために国民が大挙してオーストラリアのライブを訪れたことがニュースになり、NZでコンサートが開かれていれば7000万ドルの経済効果があったはずだという話まで出ています。さすがにラグビー王国だけに普段はあまり取り上げられないNFLも、スーパーボウルだけは別格で、テイラーが無事観戦に駆けつけたことも含めて大きく報道されていました。ハリウッド映画に関しても、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのロケ地になったことがいまだにご当地自慢になっているくらいですから、関心が高く、先日のアカデミー賞も特集ページを設けているマスコミもありました。

そんな中、私はこちらに来てから一度も映画館に足を運んでいないこともあり、今年のアカデミー賞については完全に「外野」として触れたわけですが、何となく日本人として、というか個人的に、二つのバツの悪さのようなものを感じました。NZとは全然関係ないのですが、海外に住んでいるからこそ感じた思いだという気もしたので、書き留めておきたいと思った次第です。そもそも作品をビュー(view)していないので、「レビュー」にはならず、むしろ「アン(un)ビュー」とでも言うのでしょうか。それでもよろしければ、ご一読頂ければと思います。

「バーベンハイマー」の必然

さて、私が感じたバツの悪さの一つ目は、何と言っても『オッペンハイマー』の圧勝です。日本からは原爆被害が描かれていないことに批判が出ていますが、何と言っても「原爆の父」を描いた作品で「よかった、よかった」とお祝いムードになったことには、仕方がないと言えば仕方がいのですが、複雑な思いがしました。さらに、最近のリベラルなアメリカ、特にハリウッドの風潮から言って、アメリカ先住民族に対する連続謀殺事件を描いた『キラー・オブ・ザ・フラワームーン』が下馬評を覆して作品賞を獲るのではないか、と個人的には予想していたので、なぜ『オッペンハイマー』が作品賞をはじめ、7部門受賞という結果になったのかについては少し考えさせられました。

私はクリストファー・ノーラン監督の作品は好きな方で、これまでの作品はほぼ観ています。それぞれ謎解きがあったり、ひねりが効いていたりで、「次の作品も観たい」と思わせる作品が多いですね。ただ、落ち着いて振り返ってみると、私にはそれぞれの作品に何らかの欠点があると感じられるのも確かです。例えば『インセプション』は夢の描写はすごかったですが、正直なところ映画としては中だるみしましたし、『ダンケルク』や『メメント』は冷静に考えるとストーリーはありきたりで、逆に『テネット』はちょっと話についていけませんでした。いい映画だとは思うんだけど、最高の映画とは思えないという作品ばかりな気がします。そのノーラン監督がついに欠点のない最高傑作を撮り得たのか否かは、観ていないので分かりません。しかし、私はそれ以前に、この作品が今のアメリカで賛同を得た理由があるように思います。

ご存じのように、世界唯一の超大国と言われたアメリカは今、国際的な覇権や国内の分断を巡って壁に突き当たっています。そんな今のアメリカの気分に、『オッペンハイマー』はうまくフィットしたように思えます。単なるノスタルジーというだけではありません。オッペンハイマーの人生とは、単純化してしまえば、頑張って原爆をつくった結果、罪の意識に苛まされ、水爆反対の運動に身を投じたといういわば贖罪、人としての復活の物語です。その人生を描いた本作には、アメリカは、これまでのように壁に突き当たっても正しい方向に向かうことができることを国民に再認識させる効果があったように思えます。アメリカが次に向かう原動力を得るための、原爆という「心のとげ」の自己完結的な贖罪です。そういう意味では、「バーベンハイマー」という抱き合わせ販売は、必然だったように思えます。なぜなら『バービー』という作品も、昔、人形遊びをした気恥ずかしさ、特にジェンダーフリーの国の女性たちが子供のころにジェンダーステレオタイプ丸出しのおもちゃで遊んだという「心のとげ」に対する贖罪のお話だという解釈も成り立つからです。

それでは、私たち日本人はこのバツの悪さにどう向き合えばいいのでしょうか。日本人としては贖罪を認めないわけにはいきませんが、かと言ってそのために原爆の被害を描かないことを容認したくもありません。『ゴジラ-1.0』で視覚効果賞を受賞した山崎貴監督は、日本人としては『オッペンハイマー』に対する「アンサー」を出さなければならないと語ったとのことでした。作品に対するバツの悪さは、作品で返答するしかない、ということでしょう。その通りだと思いましたし、核によって生み出された怪獣を題材にした映画を撮った監督による発言だったので、何とも象徴的だったと思います。

「君たちはどう受け止めるか」

二つ目のバツの悪さは『君たちはどう生きるか』の長編アニメ映画賞の受賞です。

私はジブリ映画に関してはあまり縁がなくて、同じ賞を受賞した『千と千尋の神隠し』を含めてほとんど観ていません。初めて自分で映画館で観た映画が『風の谷のナウシカ』と『ゴーストバスターズ』の同時上映だったと記憶していますが、この時も主目的は『ゴーストバスターズ』でした。あとはずっと後年になって、子供ができてから『となりのトトロ』を観たぐらいですから、むしろそれだけで日本人としてバツの悪い思いがします。ジブリ作品を語る資格はそもそもないのですが、今回なぜバツが悪かったかと言うと、宮崎駿監督の引退撤回を受けての新作で、日本での公開時にはあまり高評価を受けていなかったことを、「さもありなん」と感じていたからです。そういう意味では、鈴木敏夫プロデューサーが受賞後の記者会見で、アメリカでより受け入れられたという趣旨の発言をしたことで、さらにバツの悪さを感じました。別にアメリカが評価しても自分の評価が全てなのですが、作品を観ていない以上そうも言えず、個人的になかなかつらいものがありました。

それにしても、なぜアメリカで受け入れれたのでしょうか。今回の受賞については、まさに「君たちはどう受け止めるか」と問われているようです。言うまでもなく、作品を観ていない私には評価は非常に困難なのですが、鈴木プロデューサーが例に挙げたとされる黙示録との類似性については、さらに黙示録についてもよく知らないので何とも言えません。ただ、巷間伝わるストーリーから推察するに、何となくオイディプス王の神話のバリエーションのようで、欧米人に親しみやすかったのかもしれません。さらに、これも第二次大戦中の話ですから、先述のノスタルジックな「心のきず」を巡る物語ということで、アメリカ人のニーズを満たすものだったということも言えるのかもしれません。

にきお

50歳(ちょっと手前)の2023年2月からニュージーランドのオークランドで生活しています。大好きなラグビーとセーリングの話題のほか、気になったニュースなどおじさんが見たキーウィ生活のリアルをお届けしています。
X: @Nikki_de_Loup

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