オールブラックスが試合前に行うことで知られる先住民族マオリの儀式、ハカ。昨年のワールドカップ決勝で最後の代表戦となったアーロン・スミスが先導したハカは感動的でしたし、先日のクロスボーダー・ラグビーで訪日したチーフスが披露したのも記憶に新しいですね。私が高校でラグビーをしていたころは「ウォークライ」と呼ばれていたと記憶していますが、必ずしも戦い(ウォー)のための儀式ではないからか、あるいは20世紀末ごろから顕著になったマオリ語のリバイバルによるものなのか、今ではハカの呼び名が定着しています。このハカで政治的なメッセージを発信したことが今、物議を醸しています。
女子ハリケーンズ、2度にわたり
発端になったのはスーパーラグビーの女子チーム、ハリケーンズ・アウピキが3月2日の開幕戦で披露したハカ。その中のマオリ語の口上で、選手が「偏狭な政府の操り人形たち」という意味の言葉を述べたとされました。政府関係者からは批判の声が挙がり、チームの上層部は「政治的な発言はすべきではない」として遺憾の意を表明しました。ニュージーランドラグビー協会が調査に乗り出したりもしています。しかし、チームは9日の第2節の試合前にもハカの際に、政府は「消える」べきだと述べたとのことです。
このような政府批判が起きた背景を詳しく説明すると長くなりますし、この記事の主目的でもないので、ごく簡単に説明しますと、ニュージーランドでは昨年末に6年ぶりに政権交代があって、いわゆるリベラルな労働党中心の連立政権から、保守的な国民党中心の連立政権に移行しました。先住民族マオリの権利保護については伝統的にリベラルな政策で、保守系の新政権は平等や公平の名のもとにマオリの優遇政策を修正しつつあり、これに不満を抱くマオリの人たちは多くなっています。それをぶつける形で今回のハカでの政府批判が出てきたわけですが、今回はその意見の中身の正当性よりも、このハカの問題を例に、よく言われる「スポーツに政治を持ち込むことの是非」を中心に考えてみたいと思います。
非現実的な「政治と無縁」
結論から言いますと、私は個人的に「スポーツに政治を持ち込むべきではない」という意見に賛同しません。なぜなら、政治というのものは私たちの生活のさまざまな場面で、さまざまな判断に影響を与えているものである以上、スポーツだけ政治から完全に切り離すことは不可能だと考えるからです。逆に、普段から政治色を帯びているスポーツについて、さも政治と無縁であるかのようにふるまうことの方が危険だとさえ思えます。特に、ラグビーのような競技はイギリスの植民地政策とともに広まった歴史があります。「だから悪いスポーツである」と断じるつもりは全くありませんが、競技の普及過程が政治そのものであったと言わざるを得ないのは事実です。さらに、オールブラックスが披露するハカについても、植民地からニュージーランドという近代国家が成立した背景が反映されています。ニュージーランドは1840年にイギリス王権とマオリの主要部族が交わしたワイタンギ条約によって誕生したいわば二民族共存(二文化主義)国家です。その象徴としてのハカは、選手個々人の意思とは関係なく、ニュージーランドという国家成立の正当性も表しているという政治性も帯びていることになります。つまり、ハカはマオリとイギリス系(白人)の民族(人種)融和を示していると同時に、先住民族の土地に白人が移り住んだという入植国家の歴史も投影しているわけです。ゆえに、「スポーツと政治は切り離すべきだ」という主張は、政治的なメッセージで批判された当人(今回の場合は現政府)だけでなく、植民地の歴史という「不都合な真実」から目を背けたい人たちをも利することになるように思います。つまりハカの政治性否定は、試合前のハカそのものの否定につながると思えるのです。
とはいえ、政治的なメッセージを発信することに全く問題がないわけではありません。一つは、言うまでもないことですが、どんな政治メッセージでも許されるわけではなく、例えば特定の政党に投票を呼びかける行為などはすべきではありません。もう一つは、より難しい問題ですが、スポーツチームなど集団でそのメッセージを発しようとすると、排除や同調の圧力がかかりがちだということです。例えば、ニュージーランドはイギリス人とマオリの間で締結された条約で誕生した二民族共存の国家だという話を紹介しましたが、実際にはこの二つの民族以外に属する人たちもこの国には存在します。特に20世紀後半以降、ニュージーランドには私たち日本人も含めて多様な人種の移民が大量に流入して、世界有数の多民族国家となっています。オールブラックスにもマオリや白人だけでなく、サモアやトンガなど太平洋島しょ国にルーツを持つ選手もたくさんいます。試合前の儀式としては、ご存じのようにサモア代表やトンガ代表もそれぞれの民族に由来する独自のものを披露していますが、ニュージーランド代表に選ばれた選手はどこにルーツがあろうと事実上、マオリのハカにチーム全員が「同調」することを求められます。これは、スポーツに限らずどんな集団によるどんな共同行為にも関連してきますし、さらに今回のような民族(人種)のほか、宗教やイデオロギーなど集団への所属意識とは別の要素が絡むとかなりシビアな問題になります。そのため、今回のハカを主導した選手も他人種の選手たちとよく話し合って同意を得たことを強調していますが、それでもチーム内で同調圧力や排除の論理が全く働かなかったとは言い難いと思います。
物議に「不断の努力」の精神
それでも、メッセージの内容はともかくとして、私は今回のハカを通じての政治的メッセージ発信自体は支持したいと思います。確かに、今回の場合は政府に対する悪口とも受け取れるような包括的な批判よりも、マオリ語軽視などより具体的な政策に対する批判の方が表明する意見としては妥当だったかもしれません。しかし、ワイタンギ条約によって国家が成立した後も、マオリの権利保護は、マオリの人たち自身によって、19世紀は戦いで、20世紀以降は抗議行動などの政治活動によって成し遂げられてきた歴史があります。私はそれらを自分の目で見てきたわけではありませんが、その自らの権利を主張し、確保しようとする精神は日本国憲法12条(個人の尊重と公共の福祉)に規定されている「国民の不断の努力」の手本だと感じています。その第一歩というか、前提になるのが、このような意見表明なのだと思います。
オールブラックスのテストマッチの際の特徴として、ハカのほかにもう一つ、国歌をマオリ語と英語の両方で歌うというものがあります。これも今や二民族共存の象徴として受け止められていますが、この国歌斉唱はつい四半世紀前までは英語のみでした。変化のきっかけは1999年、ロンドン・トゥウィッケナムで行われた第4回ラグビーワールドカップのイングランド戦です。その試合でニュージーランド国歌を斉唱したマオリの歌手、ヒネウェヒ・モヒさんが大観衆の前で突然、マオリ語で歌ったのです。その時も物議を醸したようですが、やがて二言語での斉唱が定着し、あまり評判のよくなかった同国国歌のリバイバルにもつながったとされています。


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